独善的で独創的で、独裁的。

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5月11日「死をめぐる論考」

「なぜ死は悪いのか」

(前提)死=非存在(∵苦しまずに死ぬ死もあるから。死の本質は非存在にある)

→非存在は絶対的に悪いわけではなく、間接的に悪いわけでもないが、相対的に悪い。それは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから悪い。

→人生における良いことの数々がそもそも味わえるような環境・状況でなかったら、死は悪くない?

→健康・お金・人間関係がなかったら生きていても仕方ない?

→そうではない。どんな状態でも大抵の場合、非存在よりは良い。テレビを観ているだけの人生であったとしても、存在しないよりは良い。死んだ方が良い(自殺が正当化される)のは、悲しいことだが、消耗性疾患などで毎日地獄の苦しみを受け続け、治療法もなく、これから先も存在しない方がよい(人生の質が常にマイナス=存在しないより悪い)場合に限られる。ただそのような状態の場合、自分の判断を信頼出来る可能性は低いので、他の多くの場合と同じように、自分の家族や愛する人、周りの人や医師と相談して、それでも自殺が合理的であると判断出来れば、その時初めて自殺は正当化される。多くの人は、「存在しないより悪い」状態に陥る前に、以前の自分や違う選択をしたらなっていたであろう自分、周りの人と比べて、自分はなんて不幸なんだと思って自殺してしまう。それは正しくはない。